支援=SST?アンガーマネジメント?・・どうしてこうなってしまったか
心理検査
2025.05.01
”ハンマーしか持っていなければ全てが釘に見える”現象を考えてみた
If all you have is a hammmer, everything looks like a nail.
A.H,Maslowといえば 業界的には、あるいは一般教養レベルでも 「自己実現」とか、「5段階欲求段階説」などでお広く知られていることは周知のことですが。「The Psychology of Science(1962)」に以下の一節があり、そこからきた言葉といわれているようです。
if the only tool you have is a hammer, to treat everything as if it were a nail.

わざわざ挙げるまでもありませんが、とはいえ、著作権的にこうした図を掲載するのもなかなか難儀なのだろうなあと思っていたら、なんとイラストACに複数掲載されていました。さすがに いらすとや さんにはなかったけど。時間的に著作権は切れているからなのか?いずれにしてもどなたかがご自分で作成されたものを転載せずに紹介できました。

また横道にそれましたが
ハンマーとは 考え方の枠組みでもよいし 知識 とか 技法 とか 身につけたもの、覚えたこと、見知ったこと 習ったこと・・・・ ある種の toolですね。それを手に入れて、自分がそれを使っていいという立場を得たときに、(使っていいという資格や条件の妥当性もありますが)「やたら使いたくなる」 いや、使いたくなる という自覚があればよいのですが その対象として
妥当ではないかもしれない、
使うすべきではないかもしれない
他の方法のほうが適切かもしれない
場合だったとしても 「それしか持っていないと」それを使うべき対象と「みえてしまう」ということですね。
ハンマーを使いこなせる能力とは、
ハンマーの役割や構造をよく理解していること(危険性を含めて)
ハンマーでなければならないのか ハンマーがベストな選択なのかを判別できていること
ハンマー以外の道具を知っていて使いこなせること
それは「釘」なのかどうか 対象を見立てることができること
などを含むといえますね。
これを 支援が必要な対象 と その方法 に当てはめて考えてみますとわかりやすいですね
SST も アンガーマネジメントも 「支援」の一つでしかありませんよね。(アンガーマネジメントもSSTに含まれるでしょうけれども 後者だけを取り出していることも多いように思います)
SSTを提供する側も、まずは「その対象に最適なのは まずSSTなのかどうか」をみたてるということを主張してよいと思いますし、そのうえで最初にアプローチをすべきなのは もしかしたら 文字を書くことに苦労している 靴紐が結べずにしばしば転んでいる 夜尿が続いて朝から家族から叱責されて馬鹿にされて登校している のかもしれない などなどこどもの実感としての 感情や体験や思考を「理解しよう」という そういうこころもちでまずかかわり そこからまずは何をお手伝いするか をみたて、それを伝え、いっしょにやってみないかと語りかけることではないのでしょうか。 SST だって 作業的なトレーニングだって 「共同治療」だし「同盟を結ぶ」ことには変わりないのではないかなと。
どうも SST,SST,の連呼が 「悪いところを修正してね」にきこえてしまうのは私だけでしょうか…。
「すべてが釘に見える」のは
これまで「愛情不足・過保護・体験不足」という三種の神器が
「自閉症 ADHD LD」に座を譲ったり、今度は「HSP 愛着障害 ・・」などへの置き換わりにも言えることかもしれません。
分類のラベルを張って、それにシンプルに方法を対応させる
そういうことは私たちを安心させるし「仕事をしやすくする」のは確かなのでしょうね。
でもだれのための安心?
「とりあえずWISC」もそういう現象のひとつといえるのかもしれません。