身体の病気か 心の病気か ではなく
からだとこころのこと
2026.01.09
慢性疼痛と耳鳴り:「心理的要因」の意味を取り違えずに理解する
「原因となるものはいくら検査しても見当たらないのに」
「その原因となる疾患は治療済みなのに」
不快でいらだち 抑うつ的にさせられる 生活に支障をきたすとき
「心因性」とか「心身症」とか「身体表現性障害」とか 呼ばれたり
ときに 詐病を疑われたり というのは前回のコラムで記した「賛否両論の病」につきもののエピソード。
ここでしばしば 「気にしすぎるからだ」という 一見無神経な外野のセリフ。
実はここに 真実がある場合がある。
「気のせい」ではなくて「気にしすぎ」 似てるけど違います
とはいえ 「気にしすぎ」だと簡単に言われちゃいますが
痛みや耳鳴りなど それまでにはなかった不快な兆候が生じれば、生命の安全のために、脳はその部分に意識を向けさせ、解決に向かわせようとします。
痛みを感じるからこそ、危険を回避することを学ぶし、早めに気づいて手当をすることができるわけです。。
無痛症のひとがいかに身体を守ることに苦慮していることか。
(ところで無痛分娩には賛成です。無痛といいますが、全く痛みなく産めちゃう、とかじゃないですからね。それから、おなかを痛めた子じゃないととか言う意見がありますけど、出産で痛いのは”おなか”じゃないですからね。
この意見て 「夫婦別姓になると家族のきずなが・・・ていう主張に似てますね)
それから 痛みがあると気分がふさいで抑うつ的になりがちです。
これは 安静にさせる 動き回らずに回復を待つ ために有効なわけです。
さて問題はここからです。

それはいいけど 「原因」はみあたらない、あるいは最初の疾患は治癒したのに いつまでも残る不快な痛み。
それどころか なんとかしようと思ってあれこれ試みるが ますます悪化していく。
そんな 慢性化した痛みや耳鳴り このことにどのように向かえばよいか(あくまで治療すべき器質的な背景がない前提です)
それは「あるものは仕方ない(完全を目指さない)」こと 「そこへの意識のとらわれを和らげる」こと
森田療法の「あるがまま」と マインドフルネスの類似点について盛んに論じられていましたね。
腰痛では TVでご覧になった方もいると思いますが
福島県立医科大学では 整形外科と精神科共同での腰痛治療取り組みが有名で、いまは全国的にもスタンダードになっているのではないでしょうか。
紹介されたケースでは ほぼ寝たきりのようになっていた方が軽快したひとつのエピソードが「犬を飼う」ことだったと紹介されていました。犬の世話をし、犬をかわいがり、そのことで意識が腰とその痛みに集中していたことを緩和し、また痛むからと動くことを最小限にしていた生活から無意識にも動くことが増え、固まっていた筋肉も柔らかに。
耳鳴り治療については、ちょっと検索すれば「音響療法」というのが出てくるでしょう。これは川のせせらぎや滝の音、TVが終わった後のザーという音などを流す。ヘッドホンで音楽を聴く。などを行うものです。
つまり「耳鳴りの音を聞こうとする」意識(脳)をほかの音も聞くほうへシフトするという方法になります。
両方に言える大事なことは「だから気のせいなんだよ」と切り捨てることではなく
〇この脳の仕組みについての心理教育がなされること
〇そして具体的な提案(自分で始められること)がなされること
この2つが大切だということはすべてに共通していますよね。
ここでは 心理教育が脳の思い込みだと気づかせ、仕組みが解けることにあるとも言えますね。
正体がわかるということはそれだけパワフルなことなのではないでしょうか。
腰痛では夏樹静子さんが森田療法で最終的に軽快した闘病記が有名です。
(いやー腰を痛めたときって 椅子に座るときと立ちあがるときが怖いですよね~)

また「ヒーリングバックペイン」はTVでサーノ博士の話を聴いて放送終了時に腰痛が消えたとか。

「腰痛は怒りである」には著者の謝辞に当地のゴッドハンド(と勝手に私が呼んでいる)M先生のお名前も(人”▽`)

耳鳴りについて 読みやすかったホームページは
よし耳鼻咽喉科さん https://www.yoshijibika.com/archives/34732
日本耳鼻咽科頭頚部外科学会 https://owned.jibika.or.jp/miminari
軽い耳鳴りがあって、耳鼻科的に治療すべき疾患はなかった方で
音響療法をしてみたい方には YouTubeで「耳鳴り 音楽」でたくさん出てきますし、上高地や安曇野の風景や鳥の声とともに長時間流せるものもあります(映像はリピートですけどね)
また難聴があって耳鳴りがある方も、メカニズムは同じで、周囲の音がよく聞こえないので、自分の耳(頭?)でなっておる音のほうに意識が強く向いて行ってしまうとか。なので補聴器を付けるということが良いようです。
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「気にしない」ことは難しいことです。
気にしないようにしようとすれば余計気にすることになります。(皮肉過程理論ですね)
「どのようになっているか」を説明し(理解していただき)、
「どのようにしていってみればいいか」と提案する。
それができているかどうか。
支援する人に求められることはいつでも同じようです。

もちろん見逃してはいけない 重大なものがないか きちんと除外されているのか 早々に「心理的」と決めつけずに 「ちょっと心理的と片付けるのには違和感がある」と気づく感覚もまたとてもとても重要です。
心理屋だから自分の仕事じゃない と片付けるのはちょっと違いますよね。
ここは遠慮なく言ってしまいますと 35年近く総合病院臨床をしてきて、精神科の先生が命にかかわる身体疾患と見立てたケースは片手で収まりません。
故吉田邦夫先生、故斎藤一夫先生 をはじめ諸先生方、看護師さんやリハビリテーションスタッフの鋭い観察、脳波を取った技師さんの気づき・・・プロフェッショナルの集団のすばらしさ・・。
インテークでは 「違和感」に敏感になることは 必須。
語られることだけではなく 気づく力 尋ねる力 はやとちり はやわかり しないこと。
取り調べのようにならずにそれを尋ねていくために必要なことは?
表面的なねぎらいではなく なぜそれをさらに知りたいのかを時には説明しながら問うことも忘れずに。
「精神科なのになんで生理のことなんか聞くの?」と感じる人もいるわけで。
そういうところも「想像力」なのでしょうか。
「共感とは 想像力をはたらかせて そのひとをひとりぼっちにしないこと」
村瀬嘉代子先生没 1年を迎えて
